今となっては記録もなく,もしあっても乏しい。
記憶だけの中に残っているツーリングの事を,いつか忘れてしまう時の為に備えて記しておこうという,ただそれだけの,私的な要素の強い記録。
なにかのきっかけで思い出したときなどに,新旧順不同で気まぐれに記録し,随時更新。
最終更新日:2008/06/30
No.8 伊豆高原往復
Tさんと。デュオで。GPz400F,CB1300
(書き途中)
ニトロちゃん,某ユーキ,某ザキとのカルテット。VFR400R,GPZ900R,Hornet250,KLX250(D-TRACKER)
自分の新しいバイクが納車された後の初ツーリング。「バイク買ったよ」と友達に連絡したら,何となく箱根に行くことに。ニトロちゃんは前日から高田馬場のレンタバイク屋でレンタル車両を調達。
未明にニトロちゃんと自宅にて落ち合い,
環七,第三京浜,R1と乗り継いで,西湘BPで某ユーキと某ザキと落ち合ったんだと思う。そのまま椿ラインを上がって,しとどの岩屋で一服。
その後,芦ノ湖方面へ向かう途中,誤って箱根新道への誘導路へ進入してしまう。先頭は誰だったっけかな?自分だったか某ユーキだったか。で,Uターン後,県道への復帰をするための交差点。「とまれ」の標識で一時停止。左右確認後発信したけど右方向からインプレッサが近づいてきているのが見えたので再び一時停止…しようと思ったらニトロちゃんが後ろから突っ込んできて衝突,転倒。
自車のダメージはレバー曲がりと外装擦過。身体の方は,胸にに軽い打撲。
ニトロ車のダメージはセパ・ハン折れと外装擦過。身体の方は…超・顔面蒼白(笑)。あんなに顔の白い人は初めて見た。
ニトロちゃんにしきりに謝られたけど,まぁどうってことないよ,って気分だった。
お巡りさんに来てもらって事故調書を取った後は,某ユーキがニトロ車を富士見の展望台まで回送。クランプされてないクリップハンドル(左)で運転したんだからすごいわぁ。「あんがい乗れるよ」なんて言ってた。
展望広場でレンタルバイク屋さんの到着を待って,車両はレンタル家さんが引上げ。
HG・ザ・ハンドル・ニトロ
その後は湯河原に下りて,河鹿の湯で入湯。
自分は普通に東名で帰宅。ニトロちゃんは某ユーキに湯河原駅まで送ってもらったんだったと思う。
事故修理は保険特約があったお陰で満額填補されたので助かった。これがなければ,軽傷だったにもかかわらず廃車せざるを得なかったかも知れない。査定40万の修理費55万ぐらいじゃなかったかな?
まぁニトロちゃんは7,8万ほど自己負担額を取られちゃったみたいだけど,お陰で(?)新車同然の外装に換わった。
あー,この時ついでにホイールとスイングアームも新品に交換してもらえばよかったなぁ…と今になって思う罰当たり。
2008/06/30記す
某ユーキと,デュオ。GPz400F,GPZ900R
早朝,某ユーキ宅で集合し,厚木からR412,途中の吉野屋で牛丼を食べていくという,いつものツーリング。目的地は,漠然と奥多摩。(周遊道路はもう無料化していた。)
牛丼後,R412を相模湖方面へ向かう。半原で河原の方へ降りていく小さなコーナーが連続する区間の左コーナー。そこには丁度,砂利を運搬するダンプの出入り口があるから,ひょっとしたらスリッピーかもという思いもあった。でもまぁ何とかなる,という根拠のない思いこみで,何の疑いもなくダラッと進入。結果,40キロ程でまんまと転倒。
まだ溝が深く残る新品のGT401だったんだけど(皮むき済),ザッとハデに滑。
車両はパルサーカバーを支点にして,180度ほど回転しながら対向車線方面へ。幸い,キャッツアイへのヒットも対向車への衝突もなく,後続車もなかったため事なきを得た。身体の方は,打撲と擦過傷。腰をしたたか打ったようで,傷口には白く脂肪が見える。
うーむ。
気を取り直して(要は,すぐ忘れて,という事)予定通りの甲州街道・上野原から奥多摩。柳沢峠を越えて塩山。少し坂を上っていつもの温泉に。
傷口の血はもう固まってると思ったんだけど,まだ生乾き。道理でズキズキ痛いわけだ。一瞬入浴をためらったけど,某ユーキがえらく気持ちよさそうに湯船に浸かってるのを見て,なんだかとってもアホくさくなったので入湯。
しかしやはり,塩素入りの硫黄泉は,傷口にとてつもなく滲みた。
これといった復路の記憶はない。
2008.06.27記す
某ユーキとデュオで。
酒の席だったかなんだったか良く覚えてないけど,ある時,「一日のうちに太平洋も日本海も両方見るってことはあまり無いよね。」という話になって,んじゃ行ってみようかってんで行ったという,若気の至り。
太平洋ってのは,我々の感覚で言えば,当然それは最寄りの海,すなわち江ノ島を望む相模湾のこと。
日本海はどこでも良かった。まぁ近い方が良いよねって事で新潟,糸魚川を目指して走った。もちろん,金が掛かるからという理由で,行程は全部下道。当時,自分はGPz400F,ユーキはGPZ900Rに乗ってたんだけど,900ccのバイクの方が400ccのバイクに比べて圧倒的に長距離のライドに向くんだなぁということを,その時,圧倒的な実感を伴って知った。自分の400ccのバイクの持つアドバンテージは,給油回数の少なさだけだった。
白馬の辺りでユーキのオススメの蕎麦屋で蕎麦を食ったなぁ。あの店は量も多く,美味しかった。
蕎麦を食った以外,なぜか道中の事は余りよく覚えてないけど,糸魚川へ出た後の復路の一部は良く覚えてる。
確か,市街地を避けて,志賀高原の方をかすめるルートで帰ってきたはずなんだけど,それまではまあまあちゃんと着いて行けていた900ccのユーキのペースに,ニッチモサッチモどうにも付いていけなくなった。アクセルなんか,もう全開。ゆるい登りで半分程度の排気量なんだから当たり前。標高のせいかEGはきれいに吹けないし,燃料は妙に減るし,気温が低くタイヤのグリップ感は乏しいし,ブレーキはフェード気味で効きが悪いしで,中高速の比較的荒れた路面を持つ,本来はそこそこ快適なはずの県道を,「あーこりゃダメだわ,ココでこのペースはもう限界,無理。」と痛感しながら何とか集中力を切らさないようにアクセルを捻ってた事だけを妙に良く覚えてる。あの時,それなりの疲労の中,ユーキはもっとペースアップしたかったみたいなんだけど,まぁ無理なモノは無理。
で,GTってのをどうやってこなすべきなのかってのを,ちょっとだけ知ったような気がした。
しかし,あのときのユーキは妙に速かったな〜。(普段から速いけど。)
距離は850キロ程度だったかな。
二人とも,タイヤがやたら減ったことを感じた,なかなか印象深いツーリングでした。
2008.06.23記す
某ユーキとY君と,トリオで。XLR250,GSX400S,GPz400Fの3台。
当時,某ユーキは藤沢に住んでいたから,自分と近所のY君と,どこで落ち合ったんだか記憶にない。早川からの国道135号は旧道を利用。
石屋の手前の自動車整備工場がある辺りで,手も足も出ないような酷い土砂降りになった。
前輪のハブのちょっと下まで水が溜まっているような,道なんだか河なんだか分からないような所を足首の上まで水が掛かるのを感じながら通り抜けた。カッパを着てたにもかかわらず下着までびしょ濡れになって,湯河原のコンビニで朝食の一服。
そこまでで止めにして引き返すという事もできただろうに,そんな雨の中,なぜか3人はそのままツーリングを続けた。暖かな季節だったから,開き直っていたのかも知れない。なんで,そんなことになったんだろう。
伊豆に取っついて,海っぺりの大外を右回り。
あれは松崎の手前だっただろうか?山中の一本道を分け入っていくと(確か,温泉を目指したんだと思う),山肌を滝が流れる場所があった。でもその滝は自然の滝ではなく,人工のもの。こういったものを作る人が居るんだなぁと変に感心。そして,またまた何故か,某ユーキとY君がその滝の下の方に取っついて岩を昇り始めた。あれはなんで登ったんだったかな…。自分も少し登ったけど,えらく滑るので,落ちてケガしたらやだなぁと思っていた。この時のおかしな写真は,今もどこかに仕舞ってあるはず。(写るんです,を持っていっていた。)
その後,再び海沿いに出て,戸田まで北上。戸田峠を経て達磨山ドライブインで一服。雨はここでも酷い降りで,わずかに雨宿りのできる空間を見つけて,三人で固まってそこに居た覚えあり。気温が高く,暑かったので缶コーラを飲んだ覚えがある。そうして休憩しているうちに日が暮れた。このときの写真も残っていたはずだ。
Y君のグローブは一日雨に当たったせいで染料が溶けだし,素手がすっかり紫色ぽい黒色に染まっていた。そればかりがとても印象に残っている。
ソロで。思いつきでフラッと出かけたんだったと思う。静岡県民の森の付近で休憩中に,綺麗なコムラサキを見た覚えがあるから,季節は夏か初秋だったんだろう。乗車車両はGPz400Fと記憶。1990年代か。
往路はR1のみで,トコトコと西進して行った。たしか,静岡市内のR1BPがまだ有料だった頃で,「これしか乗ってないのにこんなに(金を)取られるのか!」と腹立たしく思った覚えあり。朝の通勤渋滞にもつかまった。そういえば,キャブの調子が悪く,いまいちバイクが走らない時だったので,スピードが出ずに少しを苦労した。
島田の手前から大井川沿いを遡上し,川沿いに遊び,夕刻,千頭のちょっと上流にある,大井川沿いのキャンプ場「八木キャンプ場」に幕営。
翌日の夜明け前,轟音で目覚めた。
まだ夜明け前で状況がつかめなかったけど,あぁ,どうやら山崩れが起こっているようだ,という事だけが分かった。ただ,まだ辺りは真っ暗で,自分の居るところからどれほど離れた場所で起こっているのか,直接の被害が生じうるのかという事までは分からず,半ば観念してそのままテントの中で横になっていた。
しばらくしてもう一度,ザザ,ともガラガラともつかない大きな音が,またした。もう夜明けで明るくなっていたから,今度はテントを飛び出した。目に飛び込んできたのは,キャンプ場対岸の大きく崩れた山肌。
川幅がそれなりにある場所だから,一見して直接こちら側への被害が生じるような崩れではなかったけど,目の前で起こっている危険な自然現象に大いにおののき,まだ夜明けからそれほど経っていない時間だったけど,それからは一睡もできなかった。(井川一帯は,もろく,崩れやすい地層のようだ。)
復路は,上記のコムラサキを見たという事以外,記憶はない。
某Fと。初のロング。1990年のGWだったと記憶。
目的地はこの辺。
確か某Fの親戚がこの近辺にあって,そのツテでこの辺の河原に寝床を構えたんだったかな。そのお宅にも上がらせて頂いたり,ずいぶん世話になった気がする。
十谷温泉は混浴の露天で,他に客はなかったと思うけど,「ガマの洞窟風呂」といったような風情の(正確な呼び名は失念),天然窟を利用したお風呂もあって,確か,それが名物だった。縁起の良い形(要は男根)の湧水口が風呂の中にあって,そこからお湯が流れ出ていたように思う。
そんな,ちょっと変わったところばかり覚えてるけど,復路の様子など,その他のことはあまり覚えてないな。
1990年頃か。某Fと,相模川河川敷。
晩飯は某Fが仕入れてきてくれた,セブンイレブンの廃棄処分弁当。
テント内の様子だけを何となく覚えてるけど,詳細は失念した。
某ユーキか誰かが夜半に遊びに来たんだっけ?
今となっては河原まで何で行ったのかすら覚えていない。自転車だったのか,カブだったのか。